梅仕事

数日前、梅酒と梅干しを漬けた。

梅酒はたまに漬けて居るし、小梅で漬けるカリカリ梅は以前作ったような気がするけれど、梅干しと言われるものを作るのは今年が初めてだったりする。

漬けてすぐの梅干しの瓶を机の上に置き、塩の湿りを、微かに増えて行く水分を眺め、上の方にある梅が腐ってしまわないかだとか、重なって見えない部分にカビが生えてしまっていないか、きちんと全体に塩が行き届いているだろうかと、梅の無事を静かに見守って居る。

ヘタを取り、洗い、水分を拭き取り、表面に傷を付けるべく塩で揉み。参考にしたレシピ達には記載はないが、ヘタ付近が一番腐りやすいのではと、1つ1つ窪みに塩を詰めてみたりして、熱湯消毒とアルコール消毒を済ませた瓶に敷き詰める。そんなこんなで瓶詰めされ、重しの載せられた梅を見ていると、『手塩に掛ける』という言葉の意味を実感する。

ただまあ、この「手塩」という言葉はさっき書いたような「塩揉みをして丁寧に下処理を施した」という意味ではなく、膳に添えた塩の事を言うのだと、これを書きながら調べていて知った。

ともかく、梅の未来の姿に想いを馳せ、自分の出来ることを尽くして漬けたこの梅は、言葉通り“手塩に掛けた梅”といって差し支えないだろう。

この梅への想いは親心に似たものとも表現できそうだが、だとしたらこの梅干しと梅を同じくして、前日に漬けた梅酒の存在が脳内から大分薄れてきてしまっているので、私は良い親とは言えないなと思う。

40度あるわけだからウォッカで漬ければ、多少下処理が甘かろうがなんだろうが大体なんとかなるだろう。多分。

ちなみにね、なんでこんな文章を書いているかといえば、先程まで森茉莉の『貧乏サヴァラン』を読んでいて、おそらくその影響で食に関する文を自分でも書きたくなったんだと思う。私は影響を受けやすい人間な上に、すぐ自分もやってみたいと思ってしまうたちなので。

梅干しの写真は取ってないけど、梅酒の写真を載せとく。

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ちなみに梅干しは塩分20%で、梅酒はお酒が少なすぎて梅、砂糖、酒が等倍の三升漬け状態になってしまった。

参考にした梅干しのレシピは18%のものだったけれど、昔ながらの梅干しは20%以上が多いそうなのと、保存性を重視して20%にした。レシピを参考程度にして基本従わないのはいつもの事である。

梅酢がもう少し出てきたら紫蘇を入れて、ついでに例年通り紫蘇ジュースを作ろうと思う。

余力があったらブランデー梅酒なんてものも作りたいなと思うけれど、私はそこまで梅酒を呑まないのでどうしようか悩むところである。正直、梅干しもそこまで食べないけれど、塩分率高めで持つはずだからよしとしよう。何よりも作ってみたいのだから仕方がない。

この手塩に掛けた梅たちが、無事に梅干しになればいいなと願いながら、今日も机の上の瓶を見つめている。